文部省著作教科書「民主主義」を読んで
2012年09月29日
第1章 民主主義の本質
民主主義の根本精神
平和と幸福とを求める者は、何をおいても、まず民主主義の本質を正しく理解することに努めなければならない。民主主義の根本精神は、(自他ともに含めた)人間の尊重ということにほかならない。
下から上への権威
民主主義の名を借りた独裁主義を打ち破るただ一つの方法は、国民が政治的に賢明になることである。民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上の権威である。
民主主義の国民生活
民主主義は、全体主義とは正反対に国民が栄えるにつれて国家も栄えるという考え方の上に立つ。国家の繁栄は、主として国民の人間としての強さと高さとによってもたらされるのである。
自由と平等
自由には、与えられた分だけそれを活用して、世の中のために役立つような働きをする大きな責任が伴う。平等とは、すべての人々にその知識や才能を伸ばすための等しい機会を与えることである。
民主主義の幅の広さ
民主主義とは、政治的組織よりもはるかに幅の広いものであり、経済・社会生活・教育などについても実現されなければならない。民主主義は、あらゆる人間生活の中にしみこんでいかねばならないところの、一つの精神なのである。
平和と幸福とを求める者は、何をおいても、まず民主主義の本質を正しく理解することに努めなければならない。民主主義の根本精神は、(自他ともに含めた)人間の尊重ということにほかならない。
下から上への権威
民主主義の名を借りた独裁主義を打ち破るただ一つの方法は、国民が政治的に賢明になることである。民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上の権威である。
民主主義の国民生活
民主主義は、全体主義とは正反対に国民が栄えるにつれて国家も栄えるという考え方の上に立つ。国家の繁栄は、主として国民の人間としての強さと高さとによってもたらされるのである。
自由と平等
自由には、与えられた分だけそれを活用して、世の中のために役立つような働きをする大きな責任が伴う。平等とは、すべての人々にその知識や才能を伸ばすための等しい機会を与えることである。
民主主義の幅の広さ
民主主義とは、政治的組織よりもはるかに幅の広いものであり、経済・社会生活・教育などについても実現されなければならない。民主主義は、あらゆる人間生活の中にしみこんでいかねばならないところの、一つの精神なのである。
第2章 民主主義の発達
古代の民主主義
民主主義の起源は古代ギリシアやローマにあると言われることがあるが、奴隷制が存在する点で真の民主主義とは言い難い。民主主義の発達は、近世のイギリス・アメリカ・フランスを待たねばならない。
イギリスにおける民主主義の発達
イギリスは、最初は専制君主の支配する国であった。その権力が、まず貴族たちに分けられ(大憲章)、ついで都市の大商人や地方の大地主がこれに参与し(権利章典)、次第に小市民や工場労働者や農民へと、権力の主体が広められていった。イギリスの民主政治は、900年の長きにわたる国民の努力によって成ったのである。
アメリカにおける民主主義の発達
アメリカは元々はイギリスの植民地であったが、本国からの政治上および経済上の圧迫に対抗しなければならないという切実な気持ちが、対立するこれらの人々を結びつけ、歴史に名高い「独立宣言書」に結実する。新しい国アメリカの民主主義は、ただ一つの目標(国民の、国民による、国民のための政治)に向かって、絶えず発展してきたのである。
フランスにおける民主主義の発達
フランスには専制君主を中心とする特権階級があり、政治上の権力を握っていた。しかし、モンテスキューの「法の精神」やルソーの「社会契約論」に代表される思想が知識階級に広まり、ついにはフランス革命や「人権宣言」の制定に結びつく。その後も紆余曲折はあったものの、最後には民主主義が歴史を導いてきたのである。
民主主義の起源は古代ギリシアやローマにあると言われることがあるが、奴隷制が存在する点で真の民主主義とは言い難い。民主主義の発達は、近世のイギリス・アメリカ・フランスを待たねばならない。
イギリスにおける民主主義の発達
イギリスは、最初は専制君主の支配する国であった。その権力が、まず貴族たちに分けられ(大憲章)、ついで都市の大商人や地方の大地主がこれに参与し(権利章典)、次第に小市民や工場労働者や農民へと、権力の主体が広められていった。イギリスの民主政治は、900年の長きにわたる国民の努力によって成ったのである。
アメリカにおける民主主義の発達
アメリカは元々はイギリスの植民地であったが、本国からの政治上および経済上の圧迫に対抗しなければならないという切実な気持ちが、対立するこれらの人々を結びつけ、歴史に名高い「独立宣言書」に結実する。新しい国アメリカの民主主義は、ただ一つの目標(国民の、国民による、国民のための政治)に向かって、絶えず発展してきたのである。
フランスにおける民主主義の発達
フランスには専制君主を中心とする特権階級があり、政治上の権力を握っていた。しかし、モンテスキューの「法の精神」やルソーの「社会契約論」に代表される思想が知識階級に広まり、ついにはフランス革命や「人権宣言」の制定に結びつく。その後も紆余曲折はあったものの、最後には民主主義が歴史を導いてきたのである。
第3章 民主主義の諸制度
民主主義と反対の制度
かつては専制君主制、現代でも金権政治や名ばかりの民主主義が存在する。政府を不要とする考え方(無政府主義)もあるが、現実の社会では、社会的な強制力を持った組織である政府は必要である。なればこそ、民主政治が一番よい、一番正しい政治であることが知られる。
民主政治の主な型
議会で多数を占めた政党が内閣を組織する議会中心制の型(例.イギリス)、議会とは別個に大統領が選出される権力分立制(例.アメリカ)、国民表決を旨とする直接民主制の型(例.スイス)の3つが基本である。
イギリスの制度
イギリスの政治形態は立憲君主制だが、政治の実際の中心は議会にある。議会は貴族院と庶民院の二院制。庶民院の議員は21歳以上の男女が選挙する。内閣は議会の基礎の上に立つ。成文の形を備えていない慣習上の原則によっている部分が少なくなく、憲法も持たない。
アメリカの制度
国会は唯一の立法機関で、元老院と代議院の二院制。行政権の最高責任者は大統領であり、内閣は大統領の下でこれを補佐する。大統領は国会の運営には関与できないが、勧告(教書)を伝えることはできる。司法権を行うのは裁判所で、国会で制定した法律が憲法にかなっているかどうかを審査する権限(違憲立法審査権)も有している。三権分立だが、その間を微妙に関連させて相互の均衡が保たれるよう工夫されている。
スイスの制度
立法府は国民議会と連邦議会とから成る。選挙権は20歳以上の男子に与えられているが、婦人参政権は認められていない(※執筆当時;1971年に認可)。行政権は連邦参事会議が担い、大統領は名義上の元首に過ぎない。最大の特色は直接民主主義が発達している点で、重要な法案は、立法府で審議した上で国民投票が行われる(国民発案も可能)。
かつては専制君主制、現代でも金権政治や名ばかりの民主主義が存在する。政府を不要とする考え方(無政府主義)もあるが、現実の社会では、社会的な強制力を持った組織である政府は必要である。なればこそ、民主政治が一番よい、一番正しい政治であることが知られる。
民主政治の主な型
議会で多数を占めた政党が内閣を組織する議会中心制の型(例.イギリス)、議会とは別個に大統領が選出される権力分立制(例.アメリカ)、国民表決を旨とする直接民主制の型(例.スイス)の3つが基本である。
イギリスの制度
イギリスの政治形態は立憲君主制だが、政治の実際の中心は議会にある。議会は貴族院と庶民院の二院制。庶民院の議員は21歳以上の男女が選挙する。内閣は議会の基礎の上に立つ。成文の形を備えていない慣習上の原則によっている部分が少なくなく、憲法も持たない。
アメリカの制度
国会は唯一の立法機関で、元老院と代議院の二院制。行政権の最高責任者は大統領であり、内閣は大統領の下でこれを補佐する。大統領は国会の運営には関与できないが、勧告(教書)を伝えることはできる。司法権を行うのは裁判所で、国会で制定した法律が憲法にかなっているかどうかを審査する権限(違憲立法審査権)も有している。三権分立だが、その間を微妙に関連させて相互の均衡が保たれるよう工夫されている。
スイスの制度
立法府は国民議会と連邦議会とから成る。選挙権は20歳以上の男子に与えられているが、婦人参政権は認められていない(※執筆当時;1971年に認可)。行政権は連邦参事会議が担い、大統領は名義上の元首に過ぎない。最大の特色は直接民主主義が発達している点で、重要な法案は、立法府で審議した上で国民投票が行われる(国民発案も可能)。
第4章 選挙権
国民の代表者の選挙
間接民主主義下において、国民自身の幸福になる政治を行うことができる代表者を選ぶためには、国民の政治的良識が高くならなければならない。
選挙の方法
議会政治は、個人ではなく政党を単位として行われる。従って、私たちは、政党に重きを置きつつ、よく人物を見て、それに投票するのが望ましい。人気のある候補者が得票を独占してしまい、同じ政党の他の候補者に票が集まらないという不合理を改善するために、比例代表制という仕組みも考えられてた。
選挙権の拡張
選挙権は当初、特権階級が独占していた。しかし、次第に高まってきた国民の政治的自覚と進歩的な思想家たちの熱心な主張により、その根強い障壁が打ち破られ、選挙権を広く国民の間に行き渡らせることができたのである。
婦人参政権
民主主義は、能力や経験の大小を全く無視して、単にすべての人間を一律平等に取り扱おうとする訳ではない。しかし、年齢上の制限に比べ、婦人参政権の制限は不合理であるという意識の高まりから、現在では撤廃されている。
選挙の権利と選挙の義務
多数の有権者が自分たちの権利の上に眠るということは、単に民主政治を弱めるだけでなく、その生命をおびやかすのである。政治は、雲の上でも下でもなく、「すべての人の仕事」でなければならない。選挙権は、権利であるとともに義務である。それも法律上の義務ではなく道徳上の義務、そして多くの人々の幸福を思う愛情の問題なのである。
間接民主主義下において、国民自身の幸福になる政治を行うことができる代表者を選ぶためには、国民の政治的良識が高くならなければならない。
選挙の方法
議会政治は、個人ではなく政党を単位として行われる。従って、私たちは、政党に重きを置きつつ、よく人物を見て、それに投票するのが望ましい。人気のある候補者が得票を独占してしまい、同じ政党の他の候補者に票が集まらないという不合理を改善するために、比例代表制という仕組みも考えられてた。
選挙権の拡張
選挙権は当初、特権階級が独占していた。しかし、次第に高まってきた国民の政治的自覚と進歩的な思想家たちの熱心な主張により、その根強い障壁が打ち破られ、選挙権を広く国民の間に行き渡らせることができたのである。
婦人参政権
民主主義は、能力や経験の大小を全く無視して、単にすべての人間を一律平等に取り扱おうとする訳ではない。しかし、年齢上の制限に比べ、婦人参政権の制限は不合理であるという意識の高まりから、現在では撤廃されている。
選挙の権利と選挙の義務
多数の有権者が自分たちの権利の上に眠るということは、単に民主政治を弱めるだけでなく、その生命をおびやかすのである。政治は、雲の上でも下でもなく、「すべての人の仕事」でなければならない。選挙権は、権利であるとともに義務である。それも法律上の義務ではなく道徳上の義務、そして多くの人々の幸福を思う愛情の問題なのである。
第5章 多数決
民主主義と多数決
人々の個性を重んずる民主主義にあって、様々な見解の対立・利害の衝突は不可避であり、一つの方針でもって問題を解決することは不可能になる。そこで、みんなで十分に議論を戦わせた上で、最後の決定は多数の意見に従う(多数決)という方法を用いる。
多数決原理に対する疑問
「多数決主義」は衆愚政治を招くのでは、という疑問がないとは言えない。しかし、「選良主義」には独裁政治を招く危険性があり、それぞれの長所を組み合わせた仕組みを考えていくより他はない。
民主政治の落とし穴
多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある点に、十分に注意してかかる必要がある。
多数決と言論の自由
多数決に伴う弊害を防ぐためには、何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。言論の自由は、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守る盾であり、安全弁である。多数の意見で決めた方針が間違っていて、少数意見に従っておいた方がよかったということが、事実によって明らかにされる場合もあるからである。
多数決による政治の進歩
「失敗は成功の母」という格言があるように、失敗を活かして段々とよい政治を築き上げていくのは、国民全体の責任である。つまり、民主政治は、多数決に誤りがあり得ることを最初から勘定に入れているのである。誤りや失敗を拒絶していたら、政治の進歩は望めない。
人々の個性を重んずる民主主義にあって、様々な見解の対立・利害の衝突は不可避であり、一つの方針でもって問題を解決することは不可能になる。そこで、みんなで十分に議論を戦わせた上で、最後の決定は多数の意見に従う(多数決)という方法を用いる。
多数決原理に対する疑問
「多数決主義」は衆愚政治を招くのでは、という疑問がないとは言えない。しかし、「選良主義」には独裁政治を招く危険性があり、それぞれの長所を組み合わせた仕組みを考えていくより他はない。
民主政治の落とし穴
多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある点に、十分に注意してかかる必要がある。
多数決と言論の自由
多数決に伴う弊害を防ぐためには、何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。言論の自由は、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守る盾であり、安全弁である。多数の意見で決めた方針が間違っていて、少数意見に従っておいた方がよかったということが、事実によって明らかにされる場合もあるからである。
多数決による政治の進歩
「失敗は成功の母」という格言があるように、失敗を活かして段々とよい政治を築き上げていくのは、国民全体の責任である。つまり、民主政治は、多数決に誤りがあり得ることを最初から勘定に入れているのである。誤りや失敗を拒絶していたら、政治の進歩は望めない。
第6章 目ざめた有権者
民主主義と世論
国民の代表者は、国民の大多数が何を求め、何が一番大切であるかをつかむことに、絶えず努力していかねばならない。一方、宣伝(プロパガンダ)の正体をつかみ、それが世論を正しく反映しているか否かを識別することが、民主国家の国民にとっての大切な心がけである。
宣伝とはどんなものか
宣伝は古くから存在していたが、メディアの発達とともにより多くの人々感化できるようになり、悪用されることも増えてきた。
宣伝によって国民をあざむく方法
デマゴジー(略してデマ)には様々な手法がある。誹謗中傷で相手を貶めるたり、逆に美辞麗句で自らを美化する方法、自らを国民の尊敬している対象と結びつける方法、民衆の機嫌を取るようなパフォーマンス、真実と嘘を上手に織り交ぜる方法、金に物を言わせる方法などである。
宣伝機関
宣伝機関として一番大きな役割を演じているのは、新聞と雑誌とラジオ(※執筆当時)であるが、それらはしばしば悪用される。自由な言論の下で真実を発見する道は、国民が「目ざめた有権者」になる以外にはない。
報道に対する科学的考察
宣伝の中から真実を見つけ出す方法としては、先入観念を取り除くこと、情報源を見極めること、新聞の論調や背景を客観的に観察すること、国際事情にも留意すること、批判的な視点をもつことなどが挙げられる。物事を科学的に考えるようになれば、嘘の宣伝はたちまち見破られてしまうから、誰も無責任なことを言いふらすことはできなくなる。
国民の代表者は、国民の大多数が何を求め、何が一番大切であるかをつかむことに、絶えず努力していかねばならない。一方、宣伝(プロパガンダ)の正体をつかみ、それが世論を正しく反映しているか否かを識別することが、民主国家の国民にとっての大切な心がけである。
宣伝とはどんなものか
宣伝は古くから存在していたが、メディアの発達とともにより多くの人々感化できるようになり、悪用されることも増えてきた。
宣伝によって国民をあざむく方法
デマゴジー(略してデマ)には様々な手法がある。誹謗中傷で相手を貶めるたり、逆に美辞麗句で自らを美化する方法、自らを国民の尊敬している対象と結びつける方法、民衆の機嫌を取るようなパフォーマンス、真実と嘘を上手に織り交ぜる方法、金に物を言わせる方法などである。
宣伝機関
宣伝機関として一番大きな役割を演じているのは、新聞と雑誌とラジオ(※執筆当時)であるが、それらはしばしば悪用される。自由な言論の下で真実を発見する道は、国民が「目ざめた有権者」になる以外にはない。
報道に対する科学的考察
宣伝の中から真実を見つけ出す方法としては、先入観念を取り除くこと、情報源を見極めること、新聞の論調や背景を客観的に観察すること、国際事情にも留意すること、批判的な視点をもつことなどが挙げられる。物事を科学的に考えるようになれば、嘘の宣伝はたちまち見破られてしまうから、誰も無責任なことを言いふらすことはできなくなる。
第7章 政治と国民
人任せの政治と自分たちの政治
日本人の間には、封建時代の名残で、政治は「自分たちの仕事」ではないという考えがいまだに残っている。しかし、政治を人任せにして一番ひどい目に合うのは、ほかならぬ国民自身である。
地方自治
国政は難しくても、町村の政治ならば誰にもわかりやすい。それを「自分たちの仕事」と考えるのが、民主政治の第一歩である。われと思う者は代表者に打って出るがよいし、代表者にならない場合でも、それと劣らない熱心さをもって、自分たちの代表者を真面目に選挙すべきである。しかし、選挙に熱中しすぎて、冷静な判断を失ってはいけない。
国の政治
地方自治のことを真剣に考えていくうちに、国全体の政治問題についても、次第に理解ができ、識見を養うことができるようになってくる。しかし、町村の代表者を選ぶのに対し、国家議員を選ぶとなると見極めが難しく不都合が生じる。
政党
前述の不都合を取り除くために発達してきたのが政党である。国民にとって「人」は選びにくくても、「党」の主義主張に賛成すべきかを決めることはたやすいからである。反対党の存在を認めないのは独裁主義につながるが、政党の数が多過ぎるのも弊害が多く、政治不信を招きやすい。
政党政治の弊害
政党政治にありがちな弊害は、「どろ仕合」と「金の誘惑」である。これらの弊害を取り除くには、政党が公党としての自覚に徹底すること、政党自身が民主的に組織されること、相手方の立場を理解する雅量である。しかし、政党は国民の心の鏡のようなものであり、根本的には国民の良識が大切である。
日本人の間には、封建時代の名残で、政治は「自分たちの仕事」ではないという考えがいまだに残っている。しかし、政治を人任せにして一番ひどい目に合うのは、ほかならぬ国民自身である。
地方自治
国政は難しくても、町村の政治ならば誰にもわかりやすい。それを「自分たちの仕事」と考えるのが、民主政治の第一歩である。われと思う者は代表者に打って出るがよいし、代表者にならない場合でも、それと劣らない熱心さをもって、自分たちの代表者を真面目に選挙すべきである。しかし、選挙に熱中しすぎて、冷静な判断を失ってはいけない。
国の政治
地方自治のことを真剣に考えていくうちに、国全体の政治問題についても、次第に理解ができ、識見を養うことができるようになってくる。しかし、町村の代表者を選ぶのに対し、国家議員を選ぶとなると見極めが難しく不都合が生じる。
政党
前述の不都合を取り除くために発達してきたのが政党である。国民にとって「人」は選びにくくても、「党」の主義主張に賛成すべきかを決めることはたやすいからである。反対党の存在を認めないのは独裁主義につながるが、政党の数が多過ぎるのも弊害が多く、政治不信を招きやすい。
政党政治の弊害
政党政治にありがちな弊害は、「どろ仕合」と「金の誘惑」である。これらの弊害を取り除くには、政党が公党としての自覚に徹底すること、政党自身が民主的に組織されること、相手方の立場を理解する雅量である。しかし、政党は国民の心の鏡のようなものであり、根本的には国民の良識が大切である。
第8章 社会生活における民主主義
社会生活の民主化
社会生活の民主化は一朝一夕にできる事柄ではないが、それが行われなければ、政治上の民主主義も決して本物にはなり得ない。社会生活における民主主義の実践は、まず家庭から始められなければならない。
個人の尊重
「私」であろうと「あなた」であろうと、人間としての存在は何よりも重んぜられなければならない。民主的な社会生活は、かような人間の自覚と個人の尊重とから始まる。他人を自分の利己心の道具として用いるのは、人間の尊厳な値打ちを踏みにじる罪悪である。
個人主義
かつて全体主義者は、個人主義を利己主義とののしった。個人主義は、生きとし生ける「すべての個人」を尊重する。その考え方のどこに、卑しむべき利己主義が潜んでいるであろうか?民主主義は、自分の国の国民を尊重するばかりでなく、外国の国民も等しく人間として尊重する。それは偽りのない国際協力の態度であり、崇高な世界平和擁護の精神である。
権利と責任
個人主義は、個人の権利を重んずると同時に、個人の責任を重んずる。財産を持つ者にしても、それが大きければ大きいだけ、それだけその財産を活用して世の中の福祉を増進していく責任がある。権利の保護は、個人の社会的責任を伴うものである。
社会道徳
道徳と法律とは、車の車輪のように密接に結びついていて、秩序正しい人間の共同生活を維持している。しかし、日常の社会生活では、法律に訴えるまでもなく、道徳の力によって正しい秩序が保たれているに越したことはない。「縦の道徳」だけが重んぜられて、「横の道徳」が軽んぜられているのは、日本の社会に封建的な要素が残存している証である。
社会生活の民主化は一朝一夕にできる事柄ではないが、それが行われなければ、政治上の民主主義も決して本物にはなり得ない。社会生活における民主主義の実践は、まず家庭から始められなければならない。
個人の尊重
「私」であろうと「あなた」であろうと、人間としての存在は何よりも重んぜられなければならない。民主的な社会生活は、かような人間の自覚と個人の尊重とから始まる。他人を自分の利己心の道具として用いるのは、人間の尊厳な値打ちを踏みにじる罪悪である。
個人主義
かつて全体主義者は、個人主義を利己主義とののしった。個人主義は、生きとし生ける「すべての個人」を尊重する。その考え方のどこに、卑しむべき利己主義が潜んでいるであろうか?民主主義は、自分の国の国民を尊重するばかりでなく、外国の国民も等しく人間として尊重する。それは偽りのない国際協力の態度であり、崇高な世界平和擁護の精神である。
権利と責任
個人主義は、個人の権利を重んずると同時に、個人の責任を重んずる。財産を持つ者にしても、それが大きければ大きいだけ、それだけその財産を活用して世の中の福祉を増進していく責任がある。権利の保護は、個人の社会的責任を伴うものである。
社会道徳
道徳と法律とは、車の車輪のように密接に結びついていて、秩序正しい人間の共同生活を維持している。しかし、日常の社会生活では、法律に訴えるまでもなく、道徳の力によって正しい秩序が保たれているに越したことはない。「縦の道徳」だけが重んぜられて、「横の道徳」が軽んぜられているのは、日本の社会に封建的な要素が残存している証である。
第9章 経済生活における民主主義
自由競争の利益
自由競争が円滑に行われれば、自然に大勢の人々の利益が調和して、経済は繁栄し、社会の幸福は繁栄する。このように、近代の資本主義は、経済上の自由主義を基礎として発達を遂げたのである。
独占の弊害
無統制で行われる経済は、「独占」のような弊害を生むことがある。企業家が独占的な地位を悪用すれば、自由競争の利益が損なわれてしまうからである。独占の弊害を取り除いて、自由で公正な競争を行わせるための、一つの有効な方法は、法律による独占の禁止または制限である。
資本主義と社会主義
資本主義のもたらす利益は、一方的に資本家に偏る傾向にある。このような欠陥を是正する方法として、資本家と労働者との隔たりを緩和するための「社会政策」、資本を国家または公共団体の所有に移す「社会主義」がある。資本主義がよいか、社会主義がよいかという議論には意味がない。双方をうまく併用すればよいだけの話であり、むしろ「共産主義」のように全体主義の誤りに陥ることがないよう深く戒める必要がある。
統制の必要とその民主化
経済統制で一般に必要と認められているのは、社会福祉を目的とする統制と、景気対策を目的とする統制、緊急の場合を切り抜けるための非常統制などである。官僚統制の弊害を防ぐためには、国民が統制の必要性を理解するとともに、国民の目がよく届くようにして、これを民主主義的に行うことが大切であり、同じことは国営事業についても当てはまる。
協同組合の発達
経済上の民主主義を実現していくためには、大企業や大地主の経済力に、中小企業や農民が対抗できるようにする必要がある。その一番有効な対策は、中小商工業者や勤労農民どうしが集まって「協同組合」(例:農協など)を作り、組合の力によって各々の弱点を補い、大企業の資本力に対抗すると同時に、自らの合理化を図るというやり方である。
消費者の保護
商人が生産者と消費者との間にあって、中間で大きな利益を得るような仕組みでは、消費者の利益は侵されやすい。対策として、民主的な「消費組合」(例:生協など)を発達させるやり方がある。ただ、消費生活を支える根本は生産であり、それは今後の日本経済の発展にかかっている。
自由競争が円滑に行われれば、自然に大勢の人々の利益が調和して、経済は繁栄し、社会の幸福は繁栄する。このように、近代の資本主義は、経済上の自由主義を基礎として発達を遂げたのである。
独占の弊害
無統制で行われる経済は、「独占」のような弊害を生むことがある。企業家が独占的な地位を悪用すれば、自由競争の利益が損なわれてしまうからである。独占の弊害を取り除いて、自由で公正な競争を行わせるための、一つの有効な方法は、法律による独占の禁止または制限である。
資本主義と社会主義
資本主義のもたらす利益は、一方的に資本家に偏る傾向にある。このような欠陥を是正する方法として、資本家と労働者との隔たりを緩和するための「社会政策」、資本を国家または公共団体の所有に移す「社会主義」がある。資本主義がよいか、社会主義がよいかという議論には意味がない。双方をうまく併用すればよいだけの話であり、むしろ「共産主義」のように全体主義の誤りに陥ることがないよう深く戒める必要がある。
統制の必要とその民主化
経済統制で一般に必要と認められているのは、社会福祉を目的とする統制と、景気対策を目的とする統制、緊急の場合を切り抜けるための非常統制などである。官僚統制の弊害を防ぐためには、国民が統制の必要性を理解するとともに、国民の目がよく届くようにして、これを民主主義的に行うことが大切であり、同じことは国営事業についても当てはまる。
協同組合の発達
経済上の民主主義を実現していくためには、大企業や大地主の経済力に、中小企業や農民が対抗できるようにする必要がある。その一番有効な対策は、中小商工業者や勤労農民どうしが集まって「協同組合」(例:農協など)を作り、組合の力によって各々の弱点を補い、大企業の資本力に対抗すると同時に、自らの合理化を図るというやり方である。
消費者の保護
商人が生産者と消費者との間にあって、中間で大きな利益を得るような仕組みでは、消費者の利益は侵されやすい。対策として、民主的な「消費組合」(例:生協など)を発達させるやり方がある。ただ、消費生活を支える根本は生産であり、それは今後の日本経済の発展にかかっている。
第10章 民主主義と労働組合
労働組合の目的
労働条件の是正や労働者の生活環境の改善などの労働問題を解決するうえで、労働者の団結によって作り上げられた「労働組合」は重要な意味を持つ。
労働組合の任務
労働者自らの力により、勤労大衆自身の団結によって、働く者の生活条件を向上させていくのが、労働組合の本当のあり方である。また、労働組合は、経済上の目的だけでなく、更に重要な社会的・文化的な任務を担っている。個人個人では得がたい教養を身につけ、新しい文化を吸収できるようにすることは、労働組合に課せられた使命である。
産業平和の実現
労働組合の活動は、経営者と労働者の間に利害と感情の融和しがたい対立を防ぐことで、「産業平和」の実現に役立っている。そのためには、経営者側が労働者の立場を正しく理解するとともに、労働者も企業経営の問題を公正に認識しなければならない。第二に、経営者と労働者が共通の地盤の上に立つという自覚を持つ必要がある。
団体交渉
労働組合がその目的を実現するための最も重要な手段は「団体交渉」である。団体交渉が円滑に進められれば、経営者と労働者の間に「労働協約」ができあがる。交渉が決裂した場合、官庁関係を除く一般の労働者には「罷業」に訴える権利があるが、これを単なる闘争のための武器として濫用することは慎むべきである。第三者委員会である「労働委員会」を設置して、争議の「調停」(和解)や「仲裁」(裁定)を図ることもできる。
日本の労働組合
労働組合は、国家や雇い主の援助に頼ることがあってはならない。そういうことをすると、結局は組合活動の自主性が失われ、御用組合に堕落してしまうからである。どんなに財政が貧弱であっても、組合員自らの力を出し合って運営されている労働組合は、組合員が「人まかせ」でなく「自分のもの」と思うから、健全な発展が望める。
労働組合の政治活動
経済上の民主主義の実現を図る上からいって、労働組合の健全でかつ建設的な政治活動に期待すべきものは大きい。ただし、組合員が、どういう政治上の主義主張に共鳴し、どの政党を支持するかは、各人の自由でなければならない。労働組合が少数の独裁を許したり、ある一つの政党の道具として利用されたりすることには、常に警戒しなければならない。
労働条件の是正や労働者の生活環境の改善などの労働問題を解決するうえで、労働者の団結によって作り上げられた「労働組合」は重要な意味を持つ。
労働組合の任務
労働者自らの力により、勤労大衆自身の団結によって、働く者の生活条件を向上させていくのが、労働組合の本当のあり方である。また、労働組合は、経済上の目的だけでなく、更に重要な社会的・文化的な任務を担っている。個人個人では得がたい教養を身につけ、新しい文化を吸収できるようにすることは、労働組合に課せられた使命である。
産業平和の実現
労働組合の活動は、経営者と労働者の間に利害と感情の融和しがたい対立を防ぐことで、「産業平和」の実現に役立っている。そのためには、経営者側が労働者の立場を正しく理解するとともに、労働者も企業経営の問題を公正に認識しなければならない。第二に、経営者と労働者が共通の地盤の上に立つという自覚を持つ必要がある。
団体交渉
労働組合がその目的を実現するための最も重要な手段は「団体交渉」である。団体交渉が円滑に進められれば、経営者と労働者の間に「労働協約」ができあがる。交渉が決裂した場合、官庁関係を除く一般の労働者には「罷業」に訴える権利があるが、これを単なる闘争のための武器として濫用することは慎むべきである。第三者委員会である「労働委員会」を設置して、争議の「調停」(和解)や「仲裁」(裁定)を図ることもできる。
日本の労働組合
労働組合は、国家や雇い主の援助に頼ることがあってはならない。そういうことをすると、結局は組合活動の自主性が失われ、御用組合に堕落してしまうからである。どんなに財政が貧弱であっても、組合員自らの力を出し合って運営されている労働組合は、組合員が「人まかせ」でなく「自分のもの」と思うから、健全な発展が望める。
労働組合の政治活動
経済上の民主主義の実現を図る上からいって、労働組合の健全でかつ建設的な政治活動に期待すべきものは大きい。ただし、組合員が、どういう政治上の主義主張に共鳴し、どの政党を支持するかは、各人の自由でなければならない。労働組合が少数の独裁を許したり、ある一つの政党の道具として利用されたりすることには、常に警戒しなければならない。
第11章 民主主義と独裁主義
民主主義の三つの側面
これまで述べてきたように、民主主義にはの三つの側面がある。政治、社会生活、そして経済生活における民主主義である。
民主主義に対する非難
民主主義の反対者が非難する点は、「多数決の原理」と「個人主義」である。多数決原理の反対者は「指導者原理」を、個人主義の反対者は「全体主義」を主張するが、いずれも独裁主義につながる考え方である。
民主主義の答
多数決原理は確かに「衆愚政治」を招くこともあるかもしれない。しかし、民主主義は、言論の自由によって政治の誤りを常に改めていくことができる。また、国民が賢明になれば、間違うこと自体が減る。他方、独裁主義では誤りは隠されてしまうのだ。個人主義は決して「利己主義」ではない。多くの人々に犠牲を強いる独裁者こそが利己主義ではないのか?
共産主義の立場
共産主義と比べてみた場合の社会主義には二通りの意味がある。一つは、先述した単に生産手段の私有を廃止するという意味での社会主義。もう一つは、共産主義に至るための第一段階としての社会主義。「プロレタリアの独裁」と呼ばれる政治組織によって議会制度を利用して行われ、次の段階として暴力革命も辞さない立場である。
プロレタリアの独裁
共産主義の立場からは、「プロレタリアの独裁」は、ブルジョアの残党との闘争のため、そして無産階級が主権者である(真の民主主義である)ことで正当化されると説明されている。しかし、実際は「共産党幹部の独裁」なのであり、反対意見は「反革命主義者」の烙印を押されて排除されてしまう。指導者の選出方法も制限されている。
共産主義と民主主義
民主主義が自由を基礎として平等を実現していこうとするのに対し、共産主義は経済上の平等に最も重きを置く一方で、政治的自由は事実上大幅に制限されている。言論および投票の自由や多数決の原則を単なる形式にとどめ、様々な考え方を持つ候補者に対して自由に投票する余地を与えないようなところに、真の民主主義があり得るだろうか?
これまで述べてきたように、民主主義にはの三つの側面がある。政治、社会生活、そして経済生活における民主主義である。
民主主義に対する非難
民主主義の反対者が非難する点は、「多数決の原理」と「個人主義」である。多数決原理の反対者は「指導者原理」を、個人主義の反対者は「全体主義」を主張するが、いずれも独裁主義につながる考え方である。
民主主義の答
多数決原理は確かに「衆愚政治」を招くこともあるかもしれない。しかし、民主主義は、言論の自由によって政治の誤りを常に改めていくことができる。また、国民が賢明になれば、間違うこと自体が減る。他方、独裁主義では誤りは隠されてしまうのだ。個人主義は決して「利己主義」ではない。多くの人々に犠牲を強いる独裁者こそが利己主義ではないのか?
共産主義の立場
共産主義と比べてみた場合の社会主義には二通りの意味がある。一つは、先述した単に生産手段の私有を廃止するという意味での社会主義。もう一つは、共産主義に至るための第一段階としての社会主義。「プロレタリアの独裁」と呼ばれる政治組織によって議会制度を利用して行われ、次の段階として暴力革命も辞さない立場である。
プロレタリアの独裁
共産主義の立場からは、「プロレタリアの独裁」は、ブルジョアの残党との闘争のため、そして無産階級が主権者である(真の民主主義である)ことで正当化されると説明されている。しかし、実際は「共産党幹部の独裁」なのであり、反対意見は「反革命主義者」の烙印を押されて排除されてしまう。指導者の選出方法も制限されている。
共産主義と民主主義
民主主義が自由を基礎として平等を実現していこうとするのに対し、共産主義は経済上の平等に最も重きを置く一方で、政治的自由は事実上大幅に制限されている。言論および投票の自由や多数決の原則を単なる形式にとどめ、様々な考え方を持つ候補者に対して自由に投票する余地を与えないようなところに、真の民主主義があり得るだろうか?
第12章 日本における民主主義の歴史
明治初年の自由民権運動
日本で「公議輿論」に基づく政治の発端となったのは、奇しくもペリー来航だった。公議輿論を尊重する機運は、明治政府にも引き継がれた。「四民平等」も民主主義の前進であった。その後、欧米の民主主義や議会制度に対する理解も進み、自由民権運動が盛り上がった。
明治憲法の制定
「大日本帝国憲法」は、プロシアをはじめドイツの国々の憲法を土台に草案が起草され、明治22年2月11日に発布、翌明治23年11月29日から施行された。アジアとしては最初の近代的成文憲法であった。日本は立憲君主国としての歩みを始めたのである。
明治憲法の内容
明治憲法は「欽定憲法」である。主権は天皇に存するため、その制定はおろか改正にも国民は参加できなかった。しかし、この憲法には、「天皇の政治」という建前を崩さない限り、民主主義の要素は相当に盛り込まれていた。しかしその一方で、民主主義の発達を抑え、独裁政治を行うことも不可能ではないような「隙」が数多くあったことも否定できない。
日本における政党政治
明治憲法が施行された当初は、多数党をも無視して政治を行う「超然内閣」が主流であった。しかし、政党が力を付け、超然内閣では議会の収拾が困難になると、やがて「政党政治」の時代が訪れた。当時の政治の実権は、依然元老の手にあったが、大正14年に25歳以上の男子には原則として選挙権を認めるという普通選挙法が成立し、最初の総選挙では初めて無産政党も加わった。
政党政治の末路
次第に発達してきた日本の民主主義が破綻した原因は主に3つある。第一に政党政治の腐敗、第二に左翼思想の弾圧に伴う右翼勢力の強まり、第三に軍部の台頭である。当時はテロやクーデターが多発しており、その都度、政治の要人が暗殺されていた。かくして軍閥は独裁体制を確立していき、ついには太平洋戦争にまで拡大されるに至った。
日本で「公議輿論」に基づく政治の発端となったのは、奇しくもペリー来航だった。公議輿論を尊重する機運は、明治政府にも引き継がれた。「四民平等」も民主主義の前進であった。その後、欧米の民主主義や議会制度に対する理解も進み、自由民権運動が盛り上がった。
明治憲法の制定
「大日本帝国憲法」は、プロシアをはじめドイツの国々の憲法を土台に草案が起草され、明治22年2月11日に発布、翌明治23年11月29日から施行された。アジアとしては最初の近代的成文憲法であった。日本は立憲君主国としての歩みを始めたのである。
明治憲法の内容
明治憲法は「欽定憲法」である。主権は天皇に存するため、その制定はおろか改正にも国民は参加できなかった。しかし、この憲法には、「天皇の政治」という建前を崩さない限り、民主主義の要素は相当に盛り込まれていた。しかしその一方で、民主主義の発達を抑え、独裁政治を行うことも不可能ではないような「隙」が数多くあったことも否定できない。
日本における政党政治
明治憲法が施行された当初は、多数党をも無視して政治を行う「超然内閣」が主流であった。しかし、政党が力を付け、超然内閣では議会の収拾が困難になると、やがて「政党政治」の時代が訪れた。当時の政治の実権は、依然元老の手にあったが、大正14年に25歳以上の男子には原則として選挙権を認めるという普通選挙法が成立し、最初の総選挙では初めて無産政党も加わった。
政党政治の末路
次第に発達してきた日本の民主主義が破綻した原因は主に3つある。第一に政党政治の腐敗、第二に左翼思想の弾圧に伴う右翼勢力の強まり、第三に軍部の台頭である。当時はテロやクーデターが多発しており、その都度、政治の要人が暗殺されていた。かくして軍閥は独裁体制を確立していき、ついには太平洋戦争にまで拡大されるに至った。
第13章 新憲法に現れた民主主義
日本国憲法の成立
戦後の日本の政治形態を、ポツダム宣言の示した方針に従って確立するには憲法が必要であった。しかし、先述の通り明治憲法は欽定憲法である上に、民主主義の発達を妨げる様々な制度を含んでいたため、憲法を根本から改めることとなり、紆余曲折を経て「日本国憲法」が制定された。
国民の主権
新憲法では主権者は天皇から国民に変更された。われら国民は、もはや臣民ではなく、自由で平等な国民として、自ら主権者となった。一方、天皇は単なる象徴となり、何らの政治的権力を持たなくなった。
国会中心主義
国会は唯一の立法機関であり、立法に際して他の国家機関の協力を必要としない点、国会以外に法律を作ることができる国家機関は存在しない点が、明治憲法とは根本から異なる点である。また、国会は内閣よりも優越した地位を占めており、内閣総理大臣は国会の指名が必要となる。
違憲立法の審査
最高裁判所は、司法権を行使するだけでなく、「違憲立法審査権」をも有している。新憲法では、最高裁判所の裁判官は、10年毎に「国民審査」を受けなければならず、不適任票多数の場合は罷免される。
国民の基本的権利
民主主義は、自立の精神と自助の態度を重んずる。よって、国民の基本的権利を平等に保護し、他人の自由を侵さない限度において各人の人間としての自由を確立する必要がある。そこで、新憲法では、言論の自由・信教の自由・恐怖からの自由・欠乏からの自由などを保障している。
戦後の日本の政治形態を、ポツダム宣言の示した方針に従って確立するには憲法が必要であった。しかし、先述の通り明治憲法は欽定憲法である上に、民主主義の発達を妨げる様々な制度を含んでいたため、憲法を根本から改めることとなり、紆余曲折を経て「日本国憲法」が制定された。
国民の主権
新憲法では主権者は天皇から国民に変更された。われら国民は、もはや臣民ではなく、自由で平等な国民として、自ら主権者となった。一方、天皇は単なる象徴となり、何らの政治的権力を持たなくなった。
国会中心主義
国会は唯一の立法機関であり、立法に際して他の国家機関の協力を必要としない点、国会以外に法律を作ることができる国家機関は存在しない点が、明治憲法とは根本から異なる点である。また、国会は内閣よりも優越した地位を占めており、内閣総理大臣は国会の指名が必要となる。
違憲立法の審査
最高裁判所は、司法権を行使するだけでなく、「違憲立法審査権」をも有している。新憲法では、最高裁判所の裁判官は、10年毎に「国民審査」を受けなければならず、不適任票多数の場合は罷免される。
国民の基本的権利
民主主義は、自立の精神と自助の態度を重んずる。よって、国民の基本的権利を平等に保護し、他人の自由を侵さない限度において各人の人間としての自由を確立する必要がある。そこで、新憲法では、言論の自由・信教の自由・恐怖からの自由・欠乏からの自由などを保障している。
第14章 民主主義の学び方
民主主義を学ぶ方法
民主主義を確実に身につける最上の道は、民主主義の実践以外にない。
学校教育の刷新
「上からの権威」に基づいた教育は、学ぶ者の自主性を奪った。ことに、忠君愛国といった「縦の道徳」の重視は、日本人から公民道徳を失わせた。我々は、日本人をこれまで支配してきた「縦の道徳」の代わりに、責任と信頼とによって人々を結ぶ「横の道徳」を確立していかねばならない。それを学ぶためには、学校の生活が一番適している。
教育の機会均等と新教育の方針
従来の教育制度では、学校の違いや性別によって教育を受ける機会が均等ではなかったため、新憲法ではこれが改められた。また、奨学の制度や夜間学校・通信教育の拡充、公民館の設置が行われた。新制度では、生徒の個性を重んじ、その自発性を尊ぶとともに、先生の教え方にも十分に自主性を認めている。新たに「社会科」を設けたのも新制度の目玉である。
「民主主義の教育」の実践
民主主義は、必ずしも社会に出なくても、学校生活においても実践できる。ここで、学校生活を貫くものは、上からの強制による秩序でもなく、わがまま勝手を許す無秩序でもなく、先生と生徒との間の人間としての責任と尊厳を基礎とする民主的な秩序でなくてはならない。
校友会
校友会は、自治的な組織を持った学園の団体で、そこでの生徒の活動は、民主主義の原理を実践する上で、極めて重要な意味を持っている。
校外活動
生徒は、学校の一員であると同時に、その地方の社会の構成員でもある。アメリカにおけるFFAの活動のように、年の若い生徒たちであっても、それが大きな自治組織を持てば、地方の繁栄に役立ち、国の経済や文化の向上のために優れた貢献をすることができる。
民主主義を確実に身につける最上の道は、民主主義の実践以外にない。
学校教育の刷新
「上からの権威」に基づいた教育は、学ぶ者の自主性を奪った。ことに、忠君愛国といった「縦の道徳」の重視は、日本人から公民道徳を失わせた。我々は、日本人をこれまで支配してきた「縦の道徳」の代わりに、責任と信頼とによって人々を結ぶ「横の道徳」を確立していかねばならない。それを学ぶためには、学校の生活が一番適している。
教育の機会均等と新教育の方針
従来の教育制度では、学校の違いや性別によって教育を受ける機会が均等ではなかったため、新憲法ではこれが改められた。また、奨学の制度や夜間学校・通信教育の拡充、公民館の設置が行われた。新制度では、生徒の個性を重んじ、その自発性を尊ぶとともに、先生の教え方にも十分に自主性を認めている。新たに「社会科」を設けたのも新制度の目玉である。
「民主主義の教育」の実践
民主主義は、必ずしも社会に出なくても、学校生活においても実践できる。ここで、学校生活を貫くものは、上からの強制による秩序でもなく、わがまま勝手を許す無秩序でもなく、先生と生徒との間の人間としての責任と尊厳を基礎とする民主的な秩序でなくてはならない。
校友会
校友会は、自治的な組織を持った学園の団体で、そこでの生徒の活動は、民主主義の原理を実践する上で、極めて重要な意味を持っている。
校外活動
生徒は、学校の一員であると同時に、その地方の社会の構成員でもある。アメリカにおけるFFAの活動のように、年の若い生徒たちであっても、それが大きな自治組織を持てば、地方の繁栄に役立ち、国の経済や文化の向上のために優れた貢献をすることができる。
第15章 日本婦人の新しい権利と責任
婦人参政権運動
婦人解放論はフランスに端を発し、イギリスの哲学者ジョン=スチュアート=ミルの著書「婦人の従属」によって世界に広がっていった。日本でも、戦後になってようやく婦人参政権が認められ、次いで新憲法により男女平等が保障された。
婦人と政治
女子が男子とまったく同様にこの光栄ある権利を得た以上、責任をもってこれを行使することは、女子の大きな義務である。しかし、女子の社会的・政治的な活動がいかに必要であっても、衣食住の改革なくしては困難であり、尚更のこと、政治への関心を持ち、政治への発言を積極的に行うべきである。司法についても同様である。
これからの女子教育
戦後、男女の教育上の差別は廃止され、教育の機会均等の制度が確立された。女子の高等教育が不要であるとか、母性としての任務の妨げになるといった考えは改めるべきである。家庭における男女の平等は、妻たり母たる者が高い教養を持つようにならなくては実現され得ない。
婦人と家庭生活
家庭の平和は、「封建的」な秩序ではなく、家族間の互いの理解と尊敬とに立脚した、「人間的」な秩序でなければならない。
婦人と労働
従来、女子の勤労は主として家庭内の仕事に限られていたが、「労働基準法」で男女間の賃金をはじめとする勤務条件の差別が撤廃された。しかし、それは機会が均等になっただけなので、女子には男子に負けないだけの能力の向上と、労働者としての自覚が必要である。
婦人解放論はフランスに端を発し、イギリスの哲学者ジョン=スチュアート=ミルの著書「婦人の従属」によって世界に広がっていった。日本でも、戦後になってようやく婦人参政権が認められ、次いで新憲法により男女平等が保障された。
婦人と政治
女子が男子とまったく同様にこの光栄ある権利を得た以上、責任をもってこれを行使することは、女子の大きな義務である。しかし、女子の社会的・政治的な活動がいかに必要であっても、衣食住の改革なくしては困難であり、尚更のこと、政治への関心を持ち、政治への発言を積極的に行うべきである。司法についても同様である。
これからの女子教育
戦後、男女の教育上の差別は廃止され、教育の機会均等の制度が確立された。女子の高等教育が不要であるとか、母性としての任務の妨げになるといった考えは改めるべきである。家庭における男女の平等は、妻たり母たる者が高い教養を持つようにならなくては実現され得ない。
婦人と家庭生活
家庭の平和は、「封建的」な秩序ではなく、家族間の互いの理解と尊敬とに立脚した、「人間的」な秩序でなければならない。
婦人と労働
従来、女子の勤労は主として家庭内の仕事に限られていたが、「労働基準法」で男女間の賃金をはじめとする勤務条件の差別が撤廃された。しかし、それは機会が均等になっただけなので、女子には男子に負けないだけの能力の向上と、労働者としての自覚が必要である。
第16章 国際社会における民主主義
民主主義と世界平和
民主主義は、世界平和の最も大切な条件となる。なぜならば、民主主義は「国民の政治」であり、国民の多数の意志が政治を動かす仕組みになっていれば、戦争の起こる恐れは非常に少なくなるからである。
国際民主主義と国際連合
「国際連合」は、国際平和の維持を主たる目的とし、経済的・社会的な国際協力を増進しようとする国際組織である。国際連合は、国際連盟に比べると、「安全保障」という点ではるかに強力な制度を備えている。「安全保障理事会」がそれであるが、原則として多数決原理を採用しているにもかかわらず、「大国の拒否権」が認められている。そこで最近では、法律上の拘束力はないものの、国際紛争を「総会」で処理しようとする傾向が生じてきている。また、「経済社会理事会」では国際的な経済・社会・文化・教育・保健の問題についての委員会が設けられて、これらの問題を研究し、それに基づいて総会屋加盟国に対する勧告が行われる。
世界国家の問題
世界国家の思想は古くから存在した。すべての国家が国際法に従い、相互の協約を重んじ、あい携えて平和の維持に協力すべき義務を負っていることは確かだが、現実の問題としては、容易に乗り越えることができない難関が横たわっている。形の上での世界国家の建設よりも、真の民主主義の精神を全世界に広める方が先決であるというべきであろう。
ユネスコ
これまで試みられた平和のための努力は、あまりにも政治的な方面にのみ傾き過ぎていた。人間の精神の奥底に平和の鍵を求めることは、今までおろそかにされてきただけに、これからは最も力を注ぐべき仕事であると言えよう。「ユネスコ」は、教育・科学および文化を通じて国際平和に貢献することを目的とする国際協力の組織である。
日本の前途
「戦争の放棄」に対する不安には、国々の協力を信頼し、全力をあげて経済の再興と文化の建設に努めていくほかはない。「狭い国土」に対する不安には、わが国の技術と勤勉、加えて科学の力を活用すれば、海外貿易とあいまって日本国民の経済生活の前途にも明るい希望が輝くであろう。日本国民は、このような文化国家建設への不屈の意志を持って、ひたすらに民主主義的な国際協力の道につき進んでいかなければならない。
民主主義は、世界平和の最も大切な条件となる。なぜならば、民主主義は「国民の政治」であり、国民の多数の意志が政治を動かす仕組みになっていれば、戦争の起こる恐れは非常に少なくなるからである。
国際民主主義と国際連合
「国際連合」は、国際平和の維持を主たる目的とし、経済的・社会的な国際協力を増進しようとする国際組織である。国際連合は、国際連盟に比べると、「安全保障」という点ではるかに強力な制度を備えている。「安全保障理事会」がそれであるが、原則として多数決原理を採用しているにもかかわらず、「大国の拒否権」が認められている。そこで最近では、法律上の拘束力はないものの、国際紛争を「総会」で処理しようとする傾向が生じてきている。また、「経済社会理事会」では国際的な経済・社会・文化・教育・保健の問題についての委員会が設けられて、これらの問題を研究し、それに基づいて総会屋加盟国に対する勧告が行われる。
世界国家の問題
世界国家の思想は古くから存在した。すべての国家が国際法に従い、相互の協約を重んじ、あい携えて平和の維持に協力すべき義務を負っていることは確かだが、現実の問題としては、容易に乗り越えることができない難関が横たわっている。形の上での世界国家の建設よりも、真の民主主義の精神を全世界に広める方が先決であるというべきであろう。
ユネスコ
これまで試みられた平和のための努力は、あまりにも政治的な方面にのみ傾き過ぎていた。人間の精神の奥底に平和の鍵を求めることは、今までおろそかにされてきただけに、これからは最も力を注ぐべき仕事であると言えよう。「ユネスコ」は、教育・科学および文化を通じて国際平和に貢献することを目的とする国際協力の組織である。
日本の前途
「戦争の放棄」に対する不安には、国々の協力を信頼し、全力をあげて経済の再興と文化の建設に努めていくほかはない。「狭い国土」に対する不安には、わが国の技術と勤勉、加えて科学の力を活用すれば、海外貿易とあいまって日本国民の経済生活の前途にも明るい希望が輝くであろう。日本国民は、このような文化国家建設への不屈の意志を持って、ひたすらに民主主義的な国際協力の道につき進んでいかなければならない。
第17章 民主主義のもたらすもの
民主主義は何をもたらすか
国民が心を合わせて民主主義的な生活を実行していくためには、民主主義は国民の将来に対して何を約束するか、民主主義のもたらすものは何であるかを、はっきりとつかんでおくことが必要である。
民主主義の原動力
民主主義の原動力は、国民の、自分自身に対する信頼の精神である。自分自身に対する信頼を失った国民は、必ず他力本願の独裁主義に走る。民主主義は国民自らが築く。民主主義のもたらすものは、国民自らの努力のもたらすものにほかならない。生存と幸福と繁栄を求める意欲が、あらゆる人間生活の原動力であるという事実こそ、民主主義によって何がもたらされるかを最も確かに約束する。
民主主義のなしうること
天然資源に乏しく人口過剰に大きな悩みをもつ日本の再建は多難を極めるだろう。しかし、困難な現実を直視しつつ、それをいかに打開するかを工夫し、努力することによってのみ、創造と建設は行われる。そうして、国民こぞっての努力に、筋道と組織とを与えるものが、民主主義なのである。
協同の力
民主主義は、無から有を作りあげることはできない。しかし、一見不可能のようなことを可能ならしめる力を持っている。それは、協同の力であり、組織の力である。
討論と実行
意見の対立も、対立する意見の間の争いも、国民が協同の力を発揮して困難に打ち勝つための討論の範囲を越えてはならない。それが、民主主義の規律である。議論するのもよい。が、まず働こう。やってみよう。
国民が心を合わせて民主主義的な生活を実行していくためには、民主主義は国民の将来に対して何を約束するか、民主主義のもたらすものは何であるかを、はっきりとつかんでおくことが必要である。
民主主義の原動力
民主主義の原動力は、国民の、自分自身に対する信頼の精神である。自分自身に対する信頼を失った国民は、必ず他力本願の独裁主義に走る。民主主義は国民自らが築く。民主主義のもたらすものは、国民自らの努力のもたらすものにほかならない。生存と幸福と繁栄を求める意欲が、あらゆる人間生活の原動力であるという事実こそ、民主主義によって何がもたらされるかを最も確かに約束する。
民主主義のなしうること
天然資源に乏しく人口過剰に大きな悩みをもつ日本の再建は多難を極めるだろう。しかし、困難な現実を直視しつつ、それをいかに打開するかを工夫し、努力することによってのみ、創造と建設は行われる。そうして、国民こぞっての努力に、筋道と組織とを与えるものが、民主主義なのである。
協同の力
民主主義は、無から有を作りあげることはできない。しかし、一見不可能のようなことを可能ならしめる力を持っている。それは、協同の力であり、組織の力である。
討論と実行
意見の対立も、対立する意見の間の争いも、国民が協同の力を発揮して困難に打ち勝つための討論の範囲を越えてはならない。それが、民主主義の規律である。議論するのもよい。が、まず働こう。やってみよう。